カズ姉のブログ

韓国在住のアラフィフです。日々 感じた事を記して行きたいと思います。

自分のまちがいは堂々と認める

宅配の配達が終った後に機械入力をする作業があるのですが、私は全部入力が終わって返納しているにもかかわらず、時々「未入力が00件あった」と指摘されることがありました。

 

その連絡をもらう度に、「私はきちんと処理をしているのにそんなはずはない」と

いつも嫌な気持ちになっていました。

 

昨日も職場の担当者から電話が掛かってきて、

「一昨日未処理の入力が42件あったと郵便局の担当者から指摘をされたんですが…」

と聞いたときには思わず「いつも私がミスをしているような言い方をされるので気分が悪いです。こんなにも何回も繰り返されるということは、機械に問題があるはずなのに、どうして私のミスだという言い方をするんですか!!」と少々感情的になってしまいました。

 

それでもどこかで「何で同じ事が何度も繰り返されるんだろう?」

「これは何か私に気付けというサインかもしれない」

そんな感じをうけました。

 

コンピューターで何時から入力されていないのか、入力する機械で何件入力されているのかを調べ、どうやら本当に42件未入力になっていることが分かりました。

 

同僚で機械にめっぽう強くて私からしてみれば「神様」みたいな存在の彼が一つ一つ丁寧に入力ミスをした場合の画面表示を教えてくれました。

 

私の確認方法のどこが至らなかったのかが分かり、職場の担当者に「先生分かりました。私がまちがっていましたすみませんでした。」と謝罪の電話をしました。

 

あんなに自信を持って自分はまちがっていない、機械のせいだと言っていたことを思うと恥ずかしくもあり、素直には認めたくない自分がいましたが、どうやら本当に私のミスだったと納得できました。

人は一度思い込んでしまうとなかなかその考えを改めるのは難しいようです。

 

以前読んだ「うまくいっていっている人の考え方」完全版 ジェリー・ミチントン

の本の中に「自分の間違いは堂々と認める」という考え方がありました。

ーまちがいを犯すということは、人間的に劣っているということではなく、人間的だということである。自分が犯した町外をまちがいを進んで認められるということは、人間的に円熟している証であり、健全な自尊心の尺度であるー

 

「自分は正しいは心の防衛機能でもあるとは思いますが、これから年齢を重ねればまちがうことも今よりも多くなることでしょうし、私自身のためにもまちがいに寛容でありたいなと思います。