カズ姉のブログ

韓国在住のアラフィフです。日々 感じた事を記して行きたいと思います。

やっと言えました。

毎晩続く不眠の辛さに居ても立っても居られなくなって、

「お母~さん、辛いよ~辛いよ~~~!!」

布団の中で叫んでいました。

 

これは私のインナーチャイルドの声でもあるかもしれません。

 

いつも悲鳴を上げているのに、私は無視をして嫌でも

「~ねばならない」で、その声を聴かないふりをして動いているからです。

 

仕事をしたくない。

でも私が家計を支えなくてどうする。

私が働かないで、誰が食べさせてくれるの?

 

うつで動くのが億劫なのに、仕事場に行って帰ってくる

ことは出来ています。

 

こんなことをもう2か月近く続けているのですから、

体も心も悲鳴を上げても仕方ありません。

 

夜中に目が覚めて寝れない時は、嫌な思いばかり沸いてきて

その思いを見つめるのが怖くて、ホ・オポノポノの

4つの言葉をずっと唱えたりしながら朝まで凌いでいる日々です。

 

私って、こんなにも人に頼ったり、甘えたり出来ない人だったんだ。

長女だということもあって、いつもお母さんのお手伝いや、妹の面倒を

見ていたので、人に頼ったり、甘えたりすることができないんです。

 

1人で全部抱え込んで、大変だと。

 

これは、実家の母に電話をして伝えなければずっと続いてしまうと

思いました。

 

ラインで何度か電話を掛けてみましたが、なかなか母は電話を取っては

くれませんでした。

諦めずに掛け続けてみると、やっと電話を取ってくれて、

「ずっと寝れなくて辛いんだ。

私は子供の頃から辛くてもお母さんに辛いと言えなかった。

歯の治療もしないといけないのに、お金がないわけではないけれど、

治療費が高くて治療出来ないままそのままになってしまっているし、

痩せてしまってどうしたらいいか分からない....と涙声で伝えました。」

 

母は「こっちは元気だから、大変な時はお互い助け合わなきゃ。

お金は送ってあげるから」と言ってくれました。

 

50代半ばの私が、83歳の母に言っているのです。

 

幼い頃から母を支えようと必死で頑張ってきた私が、今になって

母親に言えるようになったわけです。

 

普通は子供の頃は親に甘えて、大人になったら親孝行して親の面倒を

見るというのに、真逆になっています。

 

去年、父が他界して、母もいつ何があってもおかしくない年齢です。

 

私にとっては、もの凄い勇気を振り絞って言った言葉でした。

 

こんな環境にならないと、言えないくらい難しい事でした。

 

母がどう反応しても構わないと思って言いましたが、

母に対してなんとなく距離を感じていた私は、

私が勝手に作り上げたイメージと実際の母は違って

いたのかもしれないと、どこかで感じました。

 

切羽詰まって追い詰められないと、人は変われないものです。

 

今の環境は、私に何かの変化変容をもたらすために、

起きていることなのかもしれません。

 

今までやったことのないことを初めてできたことは凄いなと

自分を褒めてあげようと思います。