カズ姉のブログ

韓国在住のアラフィフです。日々 感じた事を記して行きたいと思います。

父の旅立ち

「お父さん、下血して呼吸も厳しいから覚悟」

と妹からラインメッセージが入りました。

 

いつかは迎えると分かっていた事です。

 

家での介護生活も長くなり、もうこれ以上は限界と

病院に入院してからどこくらいの月日が流れたでしょうか?

コロナで面会もままならない中、母だけが3回のワクチン接種をして

面会可能でした。

 

私を含め、妹達もみなワクチン反対派のスタンスを取っています。

一番下の妹も打たずに頑張っていたのですが、父の面会の為にと

や無負えなく、2回までは接種をしたものの、3回目はさすがに

拒否しました。

 

韓国も日本も面会の条件は『3回接種』です。

 

老人は孫の顔を見たくてもコロナで孫に会えないからと

自分の孫ではない子供にお小遣いを渡す人もいるようです。

子供が知らない人からお金をもらうのが習慣になっては困ると

幼い子供を持つ友人が話していました。

近い関係の人ならまだしも、いくら韓国人がそう言った習慣があるとはいえ

とても胸が痛みました。

 

父も状況がよく分からないままでの入院生活はどんなに不安だったことでしょう。

アルツハイマー認知症であったのが少しは救いだったかもしれません。

 

オンライン面会で父の状態をが悪くなっていく様子を目にするのが

辛くて、義父母の時もそうでしたが、面会の度に心が重くなって

行き、耐え難いものがありました。

 

父が亡くなったと聞いたとき、悲しさともう辛い治療生活をしなくても

いいんだと思うと、心が軽くなり、不自由な肉体を離れて

新たなステージへ旅立ったんだなと思いました。

 

父は人が死んだあとはどうなると考えていたのでしょうか?

 

無口だった父との思い出はそれほど多くはありませんが、真面目に

会社生活をしながら兼業農家として、畑や田んぼをコツコツしていた

昭和時代の普通の父親でした。

 

絵が上手で幼かった頃、父が描いた絵を見るのが好きで

押し入れの中にしまってあったスケッチブックを引っ張り出して

何度も見た記憶があります。

 

年末になると自分でデザインした図案を元にスタンプを作って

一枚一枚年賀状を書いていた父。

私も真似をして本からデザイン画を選んで年賀状を一緒に

書いていました。

 

祖父の性格に似て父も声を荒げることのない穏やかな人で

盆栽が趣味で家の周りは盆栽の鉢に囲まれていました。

 

韓国にお嫁に来てしまったので、中々会う機会を持つことは

出来ませんでしたが、帰る時はいつもお小遣いを持たせてくれ

いい歳になっても私は親にお小遣いを渡せずにもらうままでした。

 

まだ父が亡くなった実感を持てないままブログを書いています。

 

日本に行ってお葬式を上げれば実感が湧いてくるのでしょうか?

 

コロナで日本に行けず、規制が緩和されなければ、もし父が他界しても

日本には行けないなと諦めていました。

 

「お父さんが元気なうちに帰って来なさいと」母に言われ、

2019年の8月に無理をして日本に行った時にあったのが

最後になってしまいました。

 

お父さん、娘だけ連れて帰ります。

来週お会いしましょう。

長い介護生活、病棟生活から解放されゆっくりと

休んでください。