娘の事を通じて、私がどれ程両親に心配をかけて来たのかが、痛いほど分かりました。
私は日本国内ではなく、海外ですから、相当なものだったと思います。
私も両親と和解できないまま、反対を押し切て、家を出ました。
それでも母は私の誕生日、孫の誕生日は欠かさずにプレゼントを送り続けてくれました。
次男の出産の時は、嫁ぎ先の家庭の事情で、日本で里帰り出産をさせてもらい、
実家のお世話になりました。
経済的に帰国するのが難しい為、いつも飛行機代を負担してくれて、
時々日本に帰省する事が出来ました。
勝手な娘を陰で支え、いつも見守ってくれていた母の愛に
やっと気が付く事が出来ました。
電話が苦手な私は今まで気が向いた時しか電話を掛ける事をしませんでした。
以前は月に一度は手紙を書いていましたが、最近は手紙ではなくラインで済ませてしまう事が多くなってしまいました。
韓国人は両親に安否を気使う電話をよくします。
私の夫も話すことも無いのによく電話を掛けて来ますが、
韓国人の情の世界と日本人の情の世界の違いを感じる習慣です。
二十数年間住んでいても、結局私は日本人のままで過ごしているんだなと感じます。
韓国人の良さを見習って、私もこれからは、マメに電話を母にしようと思います。
お母さん、今までごめんなさい。
そしていつもありがとう。