旧正月の茶礼を終えて、義弟の家出一泊した夫は昼食を食べて
病院へ。
病院に行く前に、私が料理を持たせてくれたのに、
忘れてきてしまったので、病院に行くがてら家に寄ると連絡が入り、
夫に渡すつもりだった修理に出した時計も渡せて何だか事が
スムースに流れ導かれた期間でした。
子供達も自分達の人生を歩き出し、大学進学と共に家を出て
自然と夫との関係をどうして行こうかと考えざるをえない
状況になっています。
もう自分の手には負えないと病院に送ったものの、
月日ばかり6年も流れてしまい、夫は閉鎖病棟のままで
一度でも解放病棟に移れたならば、退院に向けて考えられる
ようになりますが、再発を何回も繰り返して状態も悪化し、
治療にも限界があるようです。
コロナで面会の制限が無ければ、時々面会に行ったり、
外出をして外食をしたりできるのですが、それも叶わず
家族としてはやり切れない思いを抱いて過ごしていた期間でした。
夫の粘りで何とか許可してもらった外出でしたが、他界された義父母
はどれ程喜ばれたでしようか?
強い薬を飲ませて入院させたくないと、必死に抵抗されていた
義母でした。
子供達を抱えた私は、心を鬼にしてそんな義父母達の思いを
無視して入院を貫いてきました。
状態の悪い子供を抱えながら生活していた義父母の親の愛には
尊敬の念しかありませんでした。
名節の二日間を久し振りに病院ではない場所で過ごした夫は
どんな気持ちだったでしょうか?
病院の送り迎えをして下さった義弟に心から感謝します。