大学が夏休みに入って、次男が家に帰って来て2週間が経ちました。
家が一気に汚くなり、私の横に来ては色々な泣き言、不平不満、愚直を言ってくるので私自身、余裕があれば受け止めてあげられるのですが、性格的にもそういった事が苦手でついつい正論で返してしまったり、理想と現実のギャップを感じ、心の中で「きちんと受け止めてあげられなくてゴメンね!』と呟いていました。
一人の存在でこんなにも家の中の雰囲気が変わるものだと思っていたのですが、末っ子にとっては兄が苦手な存在なので、思いっきりストレスをため込んでいたようです。
昨日の夜に早朝までゲームをしていたので、そのことを注意したらなんとリュックに荷物を詰めて家を出て行ってしまいました。
幼い頃から切れると過激な行動に出てしまうところがあり、物を壊したり、当たり散らしたり、過去にあった嫌な記憶が甦って来ました。
ゲームばかりしていた理由が分かった気がしました。
次男はもう少し自分でやってくれないかなと思うほど私に依存的なのに対して、
末っ子はもう少し親を頼ってもいいのにと思うくらい何でもかんでも自分でしようとします。
真逆の二人にどう対応したらよいのかわからなくなることがしばしばで、
お互い相手の自分が否定している要素を見せつけられているので、
そりゃあ辛いはずです。
"私の中の記憶の何が原因でこの出来事が起きているのですか?"
ずっと心の中で唱えていました。
どうして末っ子はこんなにまでも私をた頼らないようにしているのだろう?
いや、頼れないのでは?…
ネットで「人に頼れない人』と検索して、いくつかの記事を読んでみると
この現象は私が何かを否定してることを教えてくれているようだなと気が付きました。
幼少期や親子関係にどうやら問題がありそうです。
私の母親も長女で次男に嫁いだものの、父親が事実上長男としての役割を果たしている
家庭で育ちました。
母親も両親との同居で身体も弱かったので、私は母親の助手のように家事や妹たちの世話人を任されて「しっかりしたお姉ちゃん役』を見事に演じている子でした。
そうやって親からの愛を受けようとしていたのだと思います。
「自分の事は自分で』と常に言われていた私は、「人に頼ってはいけない病』に掛かっていました。
躁うつ病になったり、限界がきて週末に倒れて寝込んだりを繰り返しているうちに
少しずつではありますが、その症状も緩んできたかなと思っていました。
潜在意識の中にはどれほどの記憶があるのでしょうか?
”これを見せたかったんだね。ありがとう‘’
"本当に辛かったね。甘えたかったのによく頑張ったね”
そう心の中の私に問いかけました。
昭和の高度成長を担ってきた父親の世代。
母親は父親の不在の中で、義父母に使え子育てを頑張っていたんだと思います。
今となっては両親たちの足りない面よりも、与えてもらった事を記憶して
感謝し、まだ心の中で許せていない記憶を少しずつ手放せるようになっていきたいなと
思います。